学ぶ事ってなんだろう?
例えば上手な学び方。
下手な学び方。
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学ぶことが上手い人は、習得が早い?
学ぶことが下手な人は、習得が遅い?
別の観点から見ると、
教える事が上手い人に学ぶと上手が早いのか?
教える事が下手な人に学ぶと上手しないのか?
では、教える事が上手い人に、学ぶことが上手い人が学ぶと、
なかなか難しい事だと思いますが、ちょっと考えてみました。
目次
学ぶという事とは?
まずは学ぶ事の目的としては、何かを習得する為に学びを得て、
何か目的とする事が出来ると嬉しいですよね。
でもほとんどの場合、
○○なことが出来るようになりたい!とか○○のようになりたい!
って考えた時にはまずはお手本や目的となる人がいることが多いですよね。
例えば、ウサイン・ボルトのように速く走りたいとか、
イチローのようなプレーをしたいとか。
freebies-db.comより出典
また、○○に合格する為に学びたいという場合には、
○○のようになりたい、というよりも第三者からの評価を得た時に目標が達成できた!
という目的もありますね。
例えば、大学受験や就職試験に合格するとかオーディションに合格するなどですね。
そんな憧れの人や目標を達成する為に学びたい。
でも、実際には結構学びたくない事までも”学ばされる”こともよくあることですよね。
例えば、学校ではやりたくもない三角関数を必死に理解したり。
世界史では中国の歴代皇帝の名前を覚えさせられたり・・・。
でもいずれにしても”学ぶ”ということは、
ある目的を果たすために、
誰かから、
何かから、
”学んでいる”
ということは間違いないことですね。
学ぶ方から見たとき
では今度は学ぶ方(生徒)から”学ぶこと”を見てみますね。
学ぶ目線としては学びたくて自発的に動いている時。
逆に、学ばされている時の2つのパターンがあると思います。
もちろん、学びたくて自発的に学んでいる状態の方がとても楽しく、逆はとても辛いことだと思います。
学びたくて自発的に動いている時というのは、知りたくて、憧れて、
それが出来た時を想像すると、もうワクワクして
楽しい気持ちになって、嬉しくて・・・
もしかしたら想像しただけでも感動して泣いてしまうくらいな強い気持ちがある場合もありますよね。
そんな時の行動パターンは、
寝る間も惜しんで調べものをしたり、
練習したり。
周りが見えなくなるくらいに没頭したり・・・。
そのうちにやっぱり出来ない壁にぶち当たり、
辛く苦しい時間を過ごしていた時に、
偶然それが出来ている人に巡り合って、教えを乞う。
そしたら、たちどころに出来るようになり、
一層努力を惜しまず頑張った。
などなど。
でも逆に、学びたくないものを学ばされている時は、
○○さんは、これを必ず明日までにやり切りなさい。
そうしないと後できっと困ります。
困るのはあなたです。
もうそんな時って無理やり、
その必要性も感じないままとにかく我慢して行動しています。
でもこの2つのパターンをまた別の観点からみると、
例えば、Aさんにとって数学はとっても大好きで、数字や公式、難問奇問を見るとワクワクしてきて・・・。
でもAさんは、スポーツが本当に苦手で、サッカーなんて全くやりたいとも思わない。
球技大会や運動会は学校をお休みしたいくらい・・・。
Bさんは、数学は本当に大嫌いで、Aさんの気持ちなんかまったく理解できません。
でもサッカーは物凄く得意で、球技全般なんでも得意です。
球技大会と運動会は一年間で一番楽しみな時間なんです。
楽しんで好きな事を学べるって幸せですが、逆に辛いこと努力して学ぶって必要ないことでしょうか?
やはり我慢して努力したことからも、しっかりと学びがあると僕は思います。
でも、好きな事を学ぶことはとても効率が良いですよね。
んー難しいですね。
教える方から見たとき
先ほどのAさんに数学を教える場合、
先生にとっても、数学に強く興味を持っているAさんからの質問は、
とっても鋭く、先生の自分と同じように数学について研究熱心であり、努力もできる。
まるで過去の自分を見ているようで、教えていてとても楽しい。
でもBさんに数学を教えているときには、ため息しかでない。
あまりの出来の悪さにどうやって出来るようにすればよいのかわからないし、
そもそも先生を必要としていない。
やらされる方もかわいそうだが、教えなければならない方も大変である。
でもなぜか、Bさんにもこの数学という学問が必要なように感じてしまう先生は、
やはりBさんの事を放ってはおけない。
一方、サッカー部の顧問の監督はBさんの事を将来の日本をになうサッカー選手になるはずだ!
と思っていて、とにかくBさんにサッカーを教えなければ!
教えたことを直ぐに出来て、才能あふれるBさんにサッカーを教えていることはとても楽しく感じている。
教える方にもやはりいろんな見え方がありますね。
いろいろな立場から見てみると・・・
学ぶことも立場によっては全く違うということが解ります。
もちろん教えることも立場によっては違いますね。
でもやっぱり一番効果が高いのは、
「生徒が学びたいことを、教わりたい先生に学んでいる時」
ですよね。
僕は生徒をそもそもこんな状態にできる先生が、教える事が上手な先生なんだと思います。
生徒が○○なようになりたい!
って熱烈に思えば、きっと自発的に学び始めます。
でもそれが難しいんですよね。
僕は、小学校の先生から大学の先生までやった経験があります。
また、自分自身の出身の大学は東京芸術大学なんです。
なにが言いたいかというと、
物凄くやる気に満ちていて、
芸術としては日本のトップの学生たちがいる大学の先生と、
やる気があまりない大学の学生を相手に授業をする先生とでは、生徒を向上させる難しさが全く違うということです。
優秀な学生を育てることが、”教えることが上手い先生”なのであれば、
優れた学生が集まる大学で教えていれば誰もが優秀な先生になります。
しかし2流、3流の大学で全くやる気や技術、学力がない生徒を
超一流にすることが出来る先生がいるとしたら、
その先生は本当に超一流の指導力がある先生になります。
と考えると、やはり先生として一番難しく大切なのが小学校の先生だと僕は思います。
子供達に勉強やスポーツ、学校や生活することそのものを出来るようにする基盤が小学校や中学校になります。
もちろん、親からの教育が一番大切なことは言うまでもありませんが、
やはり先生たちの教え方も子供達に大きな影響があります。
いろんなことを楽しくとらえて、研究したくなるような学びや体験をさせることには、
よほど人生経験豊富で、気持ち的にも余裕があり、
しかもパワフルな人でなければ、出来ない仕事だと思います。
大学の先生は、興味感心が元々ある学生相手に自分自身もとても興味がある研究分野を教えたり共に研究したりする。
そんな高度な最先端の研究はもちろん大切な活動だと思います。
しかし、”教える”という立場には大きな違いがあることは間違いがないことですね。
どうも出来るようになること、上手くなることには、
その本人が大きな強い興味感心を持つことが大切なようです。
教える事の上手いヘタもやはり、強い興味感心を待たせることが出来るかが大切なようです。
次はこの”学ぶこと”と学ぶ根本の力である”興味感心”について掘り下げて考えてみますね。
つづく・・・
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