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東日本大震災で被災した当時の記憶。現地高校生からの話

      2017/08/03


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東日本大震災から4年目の2015年3月に僕は吹奏楽の高校生達をつれて

被災地、岩手県大槌町に行きました。

 

大槌の高校生達と演奏会や交流会を行い楽しい時間を過ごしながらも

震災で体験した話を沢山お聞きすることが出来ました。

 

詳細はこちらをご覧ください。
東日本大震災を忘れない。岩手県大槌町での思い出。

 

彼ら高校生が中学生や小学生だったころの3.11ですが、

高校生になったからこそやっと今話せるようになったとお聞きしました。

東日本大震災で被災した当時の記憶

実際に彼らから聞いたことをまとめました。

 

本当にあったこと・・・

絶対に忘れてはいけないこと・・・

伝えなくてはならないこと・・・

彼らが言っていたことはどれもが本当の話でした。

本当の話。

本当の気持ち。

 

彼らにしか解らなかったこと

そんな気持ちを少しでもわかりあえたこと。

わかりあえた上で笑顔でまた会おうと言っていた。

 

多くの方々に見て頂きたいです。

 

避難所での話

避難所での生活は過酷そのものだったそうです。

物資が足りず、3月の寒さを凌ぐため、人々が一箇所に寄り集まり、

新聞紙にくるまって夜を明かす日もありました。

食料も、一日にピンポン玉より小さいおにぎりがひとつだけ、ということも珍しくありませんでした。

 

私は自宅が海よりやや離れていたため、津波に呑まれることもなく、

家族と共に車で大槌町よりも内陸にいる知り合いのもとへ避難することができました。

内陸は物資が豊富にあり、生活用品は一通り揃えることができましたが、

どうしても物資に困窮している避難所の方々への後ろめたさは消えませんでした。

 

町では地震災害や津波災害の後にも、山火事が起こり、

数日間は夜でも眩しいほどだったそうです。

今でも焼けた木々の痕は痛々しくのこっています。

 

いとこのお母さんは、一度避難所に行ったあと家に戻り、

いまだ行方が知れません。

おそらく津波に呑まれたのでしょう。
高校生の私たちにまずできることは、事実を伝えることです。

少しでも多くの方々に生の体験記を知っていただくことが、

当事者である私たち大槌町の者の役目です。
あの日から4年の月日が経ちました。

いままでも、これからも、この記憶を忘れない、

風化させたくない思いでいっぱいです。
多くの方のお支えのおかげで、徐々に復興の兆しがあることを実感しています。

ですがまだまだこれからだ、ということも事実です。

どうかこれからも、震災の記憶を忘れないでください。

距離では遠く離れていても、

心は近く、絆は深くあることを望みます。

本当に怖い時の涙

あの時の自分は小学6年生で、

普通に学校にいました。
強い揺れを感じて 学校にいたみんなと一緒に避難して、

校庭の真ん中に集まってうずくまりました。
校庭に行ってからもずっと何度もすごく揺れて、とても怖かったです。

本当に怖いときって涙が勝手に出てきて、

ただうずくまって泣いていました。

 

何もかもが不安で、

何がどうなるのか分からなかったです。

続きはこちらです。
岩手県大槌町の被災者から。今やっと話せる当時の出来事


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 - 東日本大震災

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